武蔵野台地の土の下

ハンネのおおよそ1/250の頻度で更新

わたしとコミケ

こんにちは、ちさとしです。

C101に参加したみなさまが次々と体験記を上げていたので、私もこのビッグウェーブに乗ることとし、これまでコミケに出て思ったことを綴ります。

 

......というつもりでしたが、関係ないことも絡んで記事が妙に肥大してしまいました。ゆるくご覧ください。

 

demenchia.hatenablog.com

※本文中の「宇田」はこの人です↑。

note.com

sueakiyama.github.io

poyanpoyan.hatenablog.com

↑みなさんの参加記です

 

 

~C98・コミケを知るまで

コミックマーケットの認知

コミケというイベントを認知したのは高校生の頃でした。Twitterを始めて最初のコミケはC94(2018年夏)。そこから計4回、画面越しにその様子を眺めていました。私は地方人であり、またオタク・コンテンツも全くと言っていいほど知らず、年末年始やお盆というできるだけ実家で(あるいは、ゆっくり)過ごしたい時期に東京まで行くという気もなかなか起こらないもので。遠巻きに眺めるだけでも全然楽しいし、私にはこれくらいでいいかな......などと思っていました。

コミックマーケットの消滅

ただ、高校同期がコミケに参戦していることがわかってきてから徐々に自分の中の気持ちが変わってきました。その頃から各種のオタクコンテンツを漁るようになり、同人誌としてしか得られない何かを得に行きたいと考えるようになりました。そして、2020年のC98はGW開催。年末年始やお盆と違い、GWは普通に移動をしていたこともあり足を引っ張る考えはなし。さらにさらに東京の大学に受かったことにより、参戦コストも大幅に低下。私のコミケ参戦を阻むものは何もなくなったかに思えました。

 

 

 

......しかし、私がC98に参戦することはありませんでした。

 

www.comiket.co.jp

C98そのものが消滅してしまったからです*1

こうして私のコミケ参戦はお預けとなってしまいました。さらには外出前提の趣味だったこともあり、コロナ禍初期の楽しい記憶は路面電車南北直通を最後に途切れ、虚無の1年を過ごすことに。そして次のC99はいつ開催されるかわからない状況。そのうちにオタク活動への意欲も徐々に薄れていき......

 

C99・念願の初参加

最初の転機

2021年に入ると転機が訪れました。東大きらら同好会への加入です。きらら自体はジャンルとして2018年頃に認知、きらファンを通じて一気に多数の作品を知っていた中でした。最初は参加を憚っていたものの、昔から認知していたツイッタラーが複数おり、彼らとの関係も持ちたいという邪な思いも手伝い一気に加入。同人活動を行うサークルに入ったことでコミケへの気持ちが再燃しました。

 

utkiraracircle.hatenablog.com

↑きららファンタジアに対する思いです。併せてどうぞ。

 

即売会初参加、そして

そして同年10月24日、よんこま文化祭にて即売会初参加を果たします。本当に楽しい空間で、コミケに出るぞ!という気持ちがいよいよ固まってきました。私は文章が書けませんし、絵なんて尚更です。しかしきら同の次の本はフルカラー本ということで、写真を掲載という形で寄稿に至ります。初のコミケ参戦で自分の作品も世に(?)出るという中々なさそうな体験になることに。

このC99に向けて作業などするなかで新しい人間関係なんかも生まれてきて、自分の居場所ができてきた!と感じはじめました。Twitterのほうも色々踏ん切りがついてcst_oshinoが本体となったことも関係構築を加速させたと思います。

それで一昨年(一昨年!?)12月のアドベントカレンダーです。ここで他の会員各位、特に今まで手の届かないところにいた人々とようやく肩を並べた(実際には並んでない)気持ちになり、自分の中の承認欲求モンスターを一体討伐できました。いい話!

cst-oshino.hatenablog.com

そして写真を取り急ぎ回収し、本を仕上げてもらいました。

PANCHROMATIC。これが私にとって、初寄稿という意味で「出発点」です。

utkiraracircle.github.io

そんなこんなでついにC99前日。

とうとうビッグサイトが実体化しました。コミケ認知から実に3年半経っており、込み上げてくるものがありました。いよいよ行けるんだな......

12/29は多くの会社が年末年始休みに入るなか平日ダイヤなので、夕方の下り京王特急がガラガラという珍しい事態に遭遇していました*2

C99当日

チケットは8:30が指定されており、微妙に寝坊しながら9:00手前に集合場所に到達。厳しい人数制限があるにもかかわらず並ぶ人の多さにただただ圧倒されました。

途中スペースで売り子もやりました。これが初の売り子経験。自分が寄稿した本が目の前で誰かに買われていく姿というのは、人の手に渡る嬉しさ、自分の制御できない場所へ飛んでいく不安が合わさって見て不思議な感情になったものです。

東西冷戦ネタをはじめ、リアルな「オタク思考」を目の当たりにして気分が大いに高揚していました。気がつけば閉会時刻となり、あっという間に撤収となってしまいました。終わってみれば残ったものは

しかし同人誌を著者、あるいは関係のある売り子さんから直接受け取るというのはやはり違いました。このような「場」に今後も参加していたい、そんな気持ちになって気付けば帰省することなく年を越していました*3

このC99(A)、きら同に入ってほぼ半年という中で開催日になったわけですが、こんな素性もわからない人間と色々関わってくれてありがとうの気持ちがただひたすらに増幅されていました。

C100・第一の挑戦

本を出すということ

2022年になると、きら同の複数の人々*4が自分のサークルを持って同人活動を開始していきます。私は彼らが参加したコミティア139へ向かい、多種多様な同人誌を目の当たりにします。C99では2日目の参戦が叶わず本命の鉄道島や旅行島へ行けなかったのでそういった場所を回るのは初めてとなり、たくさんの刺激をもらってきました。そこで思ったのはもう軽率に同人活動始めてしまってよいのではないかということ。自分の中にある独自かもしれない視点・対象をもってすればすぐにでも本を出せるのでは?などとこの時は思っていました。まあ身近な人が本出してるの見ればこういう感情にもなります。

コミックアカデミー

春にはコミックアカデミーに加入しました。学祭(五月祭、駒場祭)で同人誌即売会を運営するサークルで、前述のティアを経ての運営・裏方にも携わりたいという気持ちと何やら危機に瀕しているという話を聞いてかなり軽率に入りました。そこには同人活動をする東大生・OBが集まり出展をしています。これもまた刺激になりました。小さな空間で全サークルを見ることができるので視野が大きく広がる、というのもあります。

何よりこのくらいの小さな空間ならほとんど委縮することなく本を出せる!という気持ちになれたのは大きいです。結局現時点でコミアカ合同誌含め自分からは何も出していませんが......

Micare vol. 2

それから夏コミへ向けた諸々が始まります。私は早いうちからMicare2への参加を表明していましたが、結局落としてしまいコラムのみの参加に。とはいえ参加していることには変わりないですし、C100は自分の行きたいジャンルのほとんどがきら同の出る1日目に集結していて、これは参加するしかない、となりチケットを購入、当選して2回連続2度目の参加に至ります。

C100当日

前回より1時間遅い枠なのをいいことに4時くらいまで起きており、案の定ギリギリに。そしてバッチリ忘れ物しました。

到着したのは、去年の冬と同じ場所。

この日は台風接近で雨の可能性がありましたが、待機中は特に何も起こらず。

↑私より少し前で待機していたけいえぬさん

↑のツイートを受けたツイート

しかし列が動き出そうというとき、上空の雲がものすごい速度で動き出して一気に暗くなり突然の降雨。雨傘の取り出しが遅れてしまい下半身・リュックずぶ濡れ、ぼっちちゃん*5剥離という被害を受けてしまいました。

1日目にすべてが詰まっていたということもありバラエティに富んだ戦利品になった気がします。ついでにあをもみじ先生から色紙を頂きました。

↑「ちさと」なので。

終了後オタクが次々と次回C101の申込書一式を得ようとしてて私もこの波に乗ろうかと思いましたが、如何せん構想が全然できてないという理由で回避することに。しかし......

冬から春にかけて知り合った同学のひとびとがサークル申込をしているのを目の当たりにしました。いつの間にか先を越されていた、あるいはもとから私の先にいたんでしょうか。しかし周囲に同人活動をやる人が増えると当然私自身の意欲も増すわけで。一時は駒場祭や2月ティアあたりに参加しようとも考えていました。

即売会付近の時期というのは誰しもこういう気持ちになるのかもしれませんね。

C101・初のサークル側参戦と、それから

同人活動、はじめますか?

私の知り合いがコミケに申し込み締め切りを生成するなか私だけは結局何にも申し込まず、申し訳ないので何かしよう!と思いつつまず個人サークル名をあれこれ考えますがどれもしっくり来ず。最終的に自身の過去ハンネから「河川敷観測所」が選ばれました。しかし十音というのは言いにくいもので決定後も全然迷いましたが。

何かできれば委託でもしようかと思いましたが、結局何もできなかったので何もしませんでした。はい。

初のサークル入場、両日参戦へ

前回C100と違い、再びきらら島(とあをもみじ先生のリコリコ・宇田先生のウマ娘・すいかもん先生の音楽)と鉄道・旅行・評論情報が別日になってしまいました。しかし今回はれんず先生のサークル(2日目)で売り子をすることになり、1日目の一般入場とあわせ初のフル参戦が実現しました。サークル入場も初です。

この時点では私はただ売り子をするだけでした。とはいえTwitterのFFなどで同様に売り子をするという方がいてその方に名札付きで名乗れるという点で違いはありましたが。

突然の宣言

ところが何を思ったのか、当日まで1週間を切った段階でこんな発言をしてしまいます。

とはいってもブログで名前をまとめて何かコメントするだけのつもりでした。が......

国際単位系さん(宇田先生のスペースで売り子をする予定)にこのツイートを拾われてしまいます。これによってペーパーとして出すか......?という気持ちが生えてきます。個人サークル最初の出版物が宇田いじりになってしまうかもしれない、そんな状況に。

地獄の果てまで進軍だー!(白目)

宣言した上に謎の期待(?)をされてしまった以上、作らないわけにはいきません。

許可

本人からも許可を得ました。

レポートも抱えている中、最終的にはほとんど何も考えなくていいハンネ表だけを刷って持っていくことにしました。

宇田先生は何度も締め切りを破りながら、コピー本にしながらもどうにか新刊を完成させるに至ります。

それを見届けながら、ハンネ表の作成作業に入ります。まさかコミケ前日の夜にペーパー作業に入り、私がデスマの最後に滑り込むとは誰が予想したでしょうか。

いくら単純作業とはいえ、300を優に超えるハンネ数です。打ち込むだけでも一苦労です。収まりの問題もあります。さらには全然使ったことないソフトです。単純作業なんて言ってすみませんでした!気がつけばろくにサクチェもできないまま当日の4時になっていました。

その段階になっても表が完成しただけ*6で、とても本にはできません。どのみち1日目は本としては出せませんし、とりあえず表だけ印刷して天然ウナギ専門店*7まで持っていくことに。最後に表に載せられなかったLv. 1 理一を無理やり捩じ込んで、眠りにつくこととしました。

すーさんやぽゃんさん*8などが無事に起床したのを見届けての就寝でしたが、驚くなかれ私も二人も同じコミケ1日目参加者です。本当、どうしてこうなってしまったのやら......

C101 1日目

指定時刻はC99Aと同じ8:30でしたが、4時を過ぎて寝た人間が間に合うはずもなく、待機列までたどり着いた時には9:48となっていました。京王線りんかい線も意外と混んでおらず、新宿駅の人もまばらで乗り換えは意外とあっさりいきました。

そしてまたしてもカメラを忘れました。にこみ合同は今日なのに、なんてことを*9......

ハンネ表は起きてから刷ったので問題なく鞄の中でした。

前回と違い天気も気温もいい感じで、何事もなく入場時刻を迎え入場しました。心なしか、前回より人が多い気がしました。あをもみじ先生、にこみ合同、えんでん先生、すいかもん先生と東の知り合いのサークルを一通り回った後、西へ向かいます。

差し入れ

宇田先生のスペースに到着。12時くらいだったと思います。いろいろ話をした後、問題のハンネ表を渡します。Lv. 1 理一がすぐ"理解られた"のでよかったです。

睡眠時間も短いので、あとはきらら島あたりを少し回り、自分史上最速の13:40に撤退しました*10ゆりかもめ有楽町線丸ノ内線で新宿に戻りましたが、永田町→赤坂見附の乗り換えが思ったより身体にきました......*11

結局最後までサクチェしなかったせいで回れなかったところが多く、申し訳ない気持ちだらけです......

これで おわったつもりか? まだ なにも おわっていない・・・

まだハンネ表を諦めてはいません。

見本誌提出まわりが色々面倒*12なので「コミケで」頒布するかどうかは決めていませんでしたが、冊子状にはしたかったのでもう少し頑張ることにしました。

帰ってきて倒れ、再び起き上がったのは19時。なんと広義前日作成した表のうち1ページのデータが上書きにより消滅していた*13ため、再び虚無の打ち込み作業から始まりました。時間に余裕があるからとgalaxさん*14のスペースで駄弁ったりもしながら表紙と奥付を作成。Lv. 1 理一くんには表紙を飾ってもらうことになりました*15。そして、ついに個人サークル名を打ち込みました。結局、「河川敷観測所」にしました。

1日目の反省を踏まえ、早めかつ準備をしての就寝です。サークル入場する以上早起きしないといけないし。

ところでこっちはまだ寝る気配ないんだけど大丈夫かな......?

いよいよ明日がコミケ本番ですよ!むっちゃドキドキしてきた…。

迎えた2日目、そして大晦日。昨日と同様に印刷をしてから向かいます。

京王線が若干遅れましたが、新宿駅に誰もいなかったおかげで所定の乗り換えに成功、2日連続の国際展示場駅へ向かいます。大井町から大量に乗ってきて昨日から一変満員電車、そしてそのほぼ全員が国展で降りていきました。

一方れんず先生はこのツイートを最後に動きがありません。もしや......と思いながら会場へ。

ぼっち・ざ・設営

スペース到着は8:00丁度。そこから自分の持ってきたものと、前日に置いていかれた分とを組み立てていきます。しかし見本誌を持っているれんず先生がいないのでここで私がいくら頑張っても設営は終わりません。

最初に入ったエリアが人もまばらなのは新鮮でした。隣のスペースの方に挨拶も済ませ、ほかの知り合いの設営の様子も(Twitter経由で)確認したり。

そして......

おそようございます

まあこのくらいは想定内です。時間があるのでハンネ表を配るかどうか考えます。

考えた末、配布を決断。見本誌票を貰って貼り付けます。この間頭の中でずっと乾いた笑いを上げていました。会場全体を見渡しても相当狂った頒布物になるのではないでしょうか(もっと狂ったものを見つけたという方は是非教えてください)。

開催!ビッグサイト同人誌即売会

れんず先生はなんとか間に合い、先程見本誌票を貼り付けたハンネ表1部は運営の元へ旅立っていきました。残りの設営も済ませ、ツイートしたところで開会およそ10分前でした。開会時刻が繰り下がっていなければアウトでした

ともあれ、初のサークル参加で迎えるコミケ2日目が幕を開けました。

ワールドツアー

まず挨拶したかったサークルさんを回ります。最初の立命館大学鉄道研究会さんは100ページ超の同人誌を何度も刊行しており、勝手に敗北感を感じていました。

配線略図.netさんにもお邪魔しました。ハンネ表を作る遠因になった方(後述)もいらっしゃるので。私、コミアカの代表ではないんですが......

思ったのは意外と回る時間がないこと。この日はついに東ホールから出ることができませんでした。"東側"のサークルなので縛られたともいえます。

 

ハンネ表もほんの少しですが出ていきました。パンクロ*16が売れた時とはまた別の感情がありました。他人をネタにしているとはいえ1から作ったモノですから。

そして......

時間が流れるのは本当に速く、ついに閉会の時を迎えました。こうして初めて尽くしのC101は終わりを迎えたのでした。

鉄道島の近くだったので、最後に鉄道島文化*17を味わって撤収となりました。

2日間で今までもお会いした方々のほか黒部五郎さん(@sankaibuta)、れたすさん(@fairy_lettuce)、いのししさん(@shishi_zibie)、Nさん(@Sprechchor_)といった方々とは初めてお話しできました。これは本当に嬉しかったです。サークル参加をある種盾に使ってた感はありますが......

心残りはやはり自分のスペースではなかったことです。いずれは自分のサークルで出て本に関わる内容についてあれこれ語り合いたいな、とも思いました。

オタクたちは打ち上げがしたい ~ 新年の誓い

最後に合流したあをもみじ先生・真鯛先生・えんでん先生と5人で打ち上げ*18。互いの戦利品を並べて写真を撮ったりしていました。

そして新年を迎え、初詣に行きました。実は一般的な初詣をするのは初めてだったりします。

昨年タグツイで言ってたこと*19+αを祈り、新年の誓いとしました。

それからようやく帰宅。長い長いC101が完全に終わりを告げたのでした。

最後に

3度のコミケを経て

国際単位系さんは「コミケは大人の文化祭だ」と言っていましたが、考えてみれば全くその通りだなと頷かざるを得ません。私の高校は文化祭がショボい()ので単純に結び付けられるかと言ったらNOではありますが、代わりに大学の学祭の大人版みたいなものと思うことにしましょう。

コミケの場では対面のコミュニケーションが発生します。文章でしかやりとりしたことがない、あるいは関わりすらない相手に何かしら声をかけ、場合によっては盛り上がることもできます。会話中の突然の話題転換って文章だと限られてきませんか*20

認知から3年で参戦を果たし、それから3回目。コミケに限らずこういう場に立つと「自分も創作がやりたい」という気持ちが湧いてきますが(n回目)、その中でももっとも有名で巨大な即売会ですから影響も大きいです。また、コミケ参加を機に創作意欲に支配された人を観測しました。そう考えるとコミケの雰囲気は本当に我々を呑んで不可逆変化を起こさせる触媒になっているのかもしれませんね。

動き出す世界、動けない自分、動かす力

2022年の下半期は周囲が一気に変化しました。前述のように同人活動を始める知り合いの増加に、画像生成AIの登場。AI絡みの話では絵描きの知り合いの間で激震が走り、絵は描いてないし今までであればスルーしたかもしれない話題なのに自分にも関わることのように感じました。

周囲は冬コミやその他諸々に向けて進捗を出すなどしているなか、私は相変わらず自分から何かをやろうとしないまま、ただタスクをこなして生きているだけ。そのタスクもTwitterで発狂する程度の余裕は残されていて。

動けないのではなく、ただ動いていないだけの、何でもない存在。

そう分かっているのに、どうして何もできないのか。そうして振り出しに戻る。もう何度目かも分からないループ。同人活動というのは私が考えていたほど甘くない(当たり前)。ここにきてもう一度思い出すのです、思考をカタチにしてきた人々がどれほど苦しんでいたか、合同誌に参加するような「仲間」がどれほど偉大か。

cst_oshinoが本体になって1年くらい、カスウォークや宇田のハンネ記録など色々なことをやってきましたが、考えてみればどれも先人の存在がありました。何より、どれも自己満止まりであり、視野が狭い。

この最初のカスウォークも......

これに刺激を受けたもの。

ハンネの変更記録。

自動化したのは宇田氏との会話がきっかけだったし、

そもそも始めたのはたわんおーくさん。

ハンネ表の大元のアイデアもここからきています*21

考えてみれば何かをやろうとするとき、そこには必ず誰かの足跡か、手助けがありました。結局、そういうものです。まーしーさんも私が勝手に真似したというのにカスウォークを応援してくださっています。ハンネ記録も誰かが既にやっていることで障壁が下がっていましたし、何より宇田氏本人が(記録開始時点ではお互い顔も知らず、絡みもほとんどなかった)私にこんな遊びをすることを容認してくださったことが大きいです。

他者の存在のありがたみは、合同誌に寄稿してあとは丸投げしていた頃はあまりに気にしませんでしたが、いざ自分で何かをしようとしたとき心から感じるのだなと。

みなさんのおかげで、何でもないはずの自分に色がついた。

本当にありがたいことです。

自分一人で得られる刺激は限られています。得たとしても実際に保存できるものはもっと少ないです。こう、人との相互作用でしか得られない何かがあるな、これを3度のコミケの合間にひしひしと感じる次第だったのです。

awomomiji.fanbox.cc

↑きら同の本などの装丁をしてくださっているあをもみじ先生(@awomomiji)による文章です。視点は違いますが「他人から得られるもの」について書いてあります。読んでください。

私はここにいる

私の去年の目標です。あまり考えずに適当に書いたつもりでしたが、今その意味を考え直しています。

2021年はきら同などを経て新しい繋がりができた年、私が「ちさとし」として再出発した年でした。その繋がりを掴んで放してなるものか、という思いがそこにあったのだと。

年明けからはTwitterで薄い関係だった人々と関わりを深め、その周りの人にまで広げていきました。怪しい人だったことでしょう、私はどの界隈から見ても遅参者ですし、大学以外まともな所属判断要素に乏しかったですし、ハンネは変わるし、変なツイ―トしかしてませんし。

それでもみなさんは(少なくとも表向きには)私を特に奇異の目で見たりもせず、私に温かく接してくださいました。これは現実(学科など)で関わる方々もそうですが、世界はこんなにも優しさで包まれているのかと過去や未来を忘れてしまうくらいには。そんなみなさんに私も全力で"愛"を送った。無下にしていいわけがないのです。

みなさんにとって私は一人の同期、友人、FF、先輩や後輩、等々に過ぎないのかもしれませんが、コロナ禍でなかなか人間関係が構築できなかったこともありそんななかで拾ってくださったみなさんはそれぞれが掛け替えのない存在なのです。

駒場祭やC101は1年間の活動の「答え」が返ってきたのだと思います。それまでに築いた関係をきっかけとして、祭りの「場」をみなさんと共に楽しむことができました。「コミアカ来い!」などにも応じてもらえましたし、私もみなさんのところで歓迎してもらえました。

改めて目標を見直します。あなたは人との繋がりを大切にできましたか?という問いに、自信をもって「はい」と答えられると思います。

 

 

そして、今年2023年の目標は次のようにしました。

みなさんに返していくこと。2022年はみなさんから頂いた刺激に対して十分なアウトプットができたとはいえません(できていれば「動き出す~」に書いたような悩みはないでしょう)。

別に創作活動・同人活動でなければならないとは考えていません。というのも、そうもいかない事情*22が今年はあるからです。それでも、私ができる範囲のことをします。とはいえ「必須」の冠がつかないと何もできないのでそこの対策は講じながらです。

そしてこの目標にはもう一つ意味を込めました(後付け)。それは自分の確立。大学に入って3年近く経ち、多様な背景をもつみなさんと関わる中で「自分(の考え)がない」*23という悩みが膨れ上がっていて、みなさんに返していくこと(アウトプット)を通じてそこにメスを入れていけたらな......という願望です。

 

参加記のはずが最後は自分語りのようになってしまい申し訳ありません。遅くなりましたが、2022年に私と関わりを持ってくださった全てのみなさんに目一杯の感謝を送りたいと思います。ありがとう!

そしてこんな幼稚で衝動的で飽き性な私をどうか今年もよろしくお願い致します......!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

*1:厳密には、対面開催が中止となっただけでエアコミケとして開催されました。しかしそれでは自分にとっては今までのコミケと何も変わりませんでした。

*2:この現象は8/13あたりにも起こることがあります。

*3:成人式に出るため結局年明けに帰省はしています。

*4:あをもみじ先生(@awomomiji)やふぁぼん先生(@syobon_hinata)。

*5:きらら展グッズのぼっちちゃん財布。

*6:ちなみに、表の大きさなどは特に考えずに作っていました。本当に偶然3ページで収まったのです

*7:宇田まなと先生のスペース。

*8:すーさん=すいかもん先生。二人とも、サークル「逆たまごかけごはん」で1日目に参加していました。コスプレよきでした。

*9:カメラに放すと×ぎんしおアクキー(あをもみじ先生作)を装着していたため、持っていきたかったのです。

*10:今まではサークルスペースに居場所がありましたが、今回はなかったというのも一つの理由。これまではすべて閉会までいました。

*11:三が日有楽町線カスウォークの帰りに使ったルートのはずですが、そのときよりしんどく感じました。逆にキツ過ぎて記憶が飛んでいたという説もあります。

*12:ペーパーは見本誌提出不要ですが、折った瞬間に本扱いとなり、生贄を出さなければいけなくなります。

*13:これ自体は前日の作成完了時に気付いていました。

*14:大学同期。2日目のサークルスペースにも来てくださいました。

*15:宇田氏に差し出したペーパーで配置されていた場所を奥付で使うことになったため。

*16:きら同の合同誌PANCHROMATIC。上述。

*17:駒場祭のコミアカで既に見ていましたが、この巨大会場で為されるそれは迫力が違いました。

*18:打ち上げに至るまでいろいろありましたが、ここでは省略します。

*19:新刊出す! と 北海道上陸!

*20:ボイチャならそうでもないですが、そもそもボイチャで繋がるのは難しく......

*21:最初の「宇田まなとこの一年」という名前の案。

*22:院試など......

*23:正直、創作関係の悩みよりこっちの方が数倍大きいまであります。